特集:超高層ビルの30年

日本初の超高層ビルの誕生
1960年代初頭まで,日本では高さ31m以上のビルを建てられなかった。長い間,地震国日本では,建設不可能といわれてきた超高層ビルであったが,建築構造の権威である武藤清東京大学教授の「柔構造理論」により,技術的に可能と考えられるようになってきていた。そして,1919年に制定された高さ制限に関する法律が1963年に撤廃された。
霞が関ビルの起工式は1965年3月に行われたが,建設に先立って,1963年に退官した武藤教授を副社長として迎え,二階所長以下,各分野から選りすぐりの人材で工事に臨んだ。
関係者は一丸となって切磋琢磨し,新技術や新工法を開発した。
工場で加工した資材を現場で組み立てる各種のプレハブ工法や大型H型鋼などである。これらは,改良されながら今日でも採用されている。気象デ−タをもとに,高所作業時に風雨から受ける影響を考慮に入れた管理工程も,未だに超高層ビルの建設工程の基本になっている。 |
■竣工直後の霞が関ビル
(高さ147m,36階建て) |
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自ら昇るセルフクライミング方式タワークレ−ンを初めて実用化 |

鉄骨建方のすぐ後を追ってデッキプレ−トを敷き並べ,作業場を早期に確保し高所作業時の安全性を高めた |
超高層は時代とともに
霞が関ビル着工当時は,建物を平面モデルでとらえる平面解析の時代だったが,構造解析技術は,その後長足の進歩を遂げる。構造解析技術の進歩を支えたのは,コンピュ−タの発達である。
超高層ビル黎明期には,もっぱらオフィス需要が多く,鉄骨造がメインであったが,その後住宅も超高層化したいという要望も増えてきた。
従来の2倍以上の強度を持つコンクリ−トや鉄筋を用いたHiRC工法により,ついに鉄筋コンクリ−ト造の超高層住宅をも現実のものとしたのである。

▲左から 新宿住友ビル(1974年竣工),新宿三井ビル(1974年竣工),京王プラザホテル(1971年竣工),KDDビル(1974年竣工) |

▲HiRC工法によるサンシティG棟
(1980年竣工)
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▲赤坂プリンスホテル新館
(1982年竣工) |

▲松下興産ツイン21(大阪市)
(1986年竣工) |
リニューアルで若返る超高層
一般に,ビルのリニュ−アル適齢期は,竣工後20年目頃と言われる。
リニュ−アルは,老朽化した外壁・内壁の修繕や機能が劣化した設備の交換,OA化に対応する配線がしやすいフロアへの更新など,時代に先んじたクオリティ−の確保を目的に行われる。
リニューアルされた超高層ビルは,生まれ変わり,長く人々に利用され続けていくことであろう。

リニュ−アルされた霞が関ビルのオフィス
1994年度BELCA(ベストリフォ−ム・ビルディング)部門賞を受賞した |
そして超高層は新世紀へと
制震構造技術は,こうした地震や強風などで生じる揺れと,揺れから生じる建物の機能障害などを,特殊な装置を建物に組み込むことによって積極的にコントロ−ルしようというものである。これまでに,新宿パ−クタワ−,同和火災フェニックスタワーやJALビルディングなど,TRIGON,DUOX
やHiDAMといった制震装置を組み込んだ制震構造の超高層ビルを次々と完成させてきた。
超高層フリ−プランハウジングは,新しい超高層を実現する建築システムとして,当社が開発した全く新しい発想の躯体架構技術により,室内空間から柱・梁をなくし,平面的にも立体的にも自由な空間を創出できる。
この30年間,当社は超高層ビルのパイオニアとして,数多くの実績を残してきた。これからも,より機能のすぐれた超高層ビルの開拓に向けて新たな挑戦が続けられていく。
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新宿パークタワー(1994年竣工)と パッシブ制震装置TRIGON |