04KAJIMA202406令和6年能登半島地震緊急復旧工事特集ABC2024(令和6)年1月1日16時10分,最大震度7の揺れを記録した能登半島地震の発生は,土砂崩落,津波,建物の倒壊,大規模火災,道路の寸断などの甚大な被害を引き起こした※1。地震発生から約5ヵ月が経過した現在,避難生活を送る人はなお4,000人にのぼる※2。発災翌日から緊急復旧工事に尽力してきた当社の動きを,北陸支店および現場からリポートする。―災害対応と鹿島※1死者245人,負傷者1,309人 ※2避難所数275,避難者数4,130人(石川県内)以上,内閣府発表(5月8日)A:石川県珠洲市仁江町の地滑り(2024年1月3日撮影,朝日新聞社/時事通信フォト提供)B:石川県珠洲市,津波による被害で浸水したとみられる地域(2024年1月2日撮影,朝日新聞社/時事通信フォト提供)C:能登大橋への接続盛土部が崩落した「のと里山海道」(2024年2月7日撮影)珠洲市震源能登町穴水町のと里山空港志賀町輪島市七尾市中能登町羽咋市
05KAJIMA202406 このたびの令和6年能登半島地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに,被害にあわれた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。避難生活を余儀なくされている皆様が,一日も早く日常生活を取り戻せるよう,今後も北陸支店は全社支援のもと,被災地の復旧・復興に社員が結束して取り組んでまいる所存です。 北陸支店は元日午後4時10分の発災直後,幹部を中心に震災対策本部を立ち上げました。2日朝には社員を被災地に派遣する緊急復旧工事の準備に入り,午前8時にオンライン併用の震災対策本部会議を開きました。本社や他支店から約50人が出席したこの会議で支援情報の共有をいち早く行い,全社からの派遣・応援をスピーディーに受けることができました。元日における発災は,社員はもとより,協力会社,労務,資機材の調達を非常に困難にしましたが,災害時に出動をお願いしている北陸の協力会社以外にも,関東や関西など他支店の協力会社が応援に駆けつけてくださり,初期対応を迅速に進めることができました。関係各位に対し,この場を借りて敬意を表するとともに心から御礼を申し上げます。 2日午前10時半には,災害協定に基づき,北陸地方整備局から私が支部長を務める日本建設業連合会北陸支部へ支援要請を受けました。当社の最初のミッションは「七尾から穴水を経由し,輪島,珠洲に救急車両が到達できる1車線の道路を確保すること」であり,当社は主に珠洲方面への道路啓開を担当,同日午後から24時間体制で,4日朝6時に珠洲へのルートを無事に開通させました。 この間,先行して調査を実施し啓開ルートを確定する社員,現場の作業指揮を執る社員,作業班,重機,砕石などの資材,燃料を調達する社員の全員が,ほぼ不眠不休で業務にあたりました。「災害復旧は建設業の第一義」という使命感のもと,「一刻も早く救助活動が行えるように」と一人ひとりが能動的に動き,当社社員の強い意志とプライドを,非常に心強く感じました。 その後も当社は,石川県輪島市の市街地へ流れ込む河原田川の流域で発生した,熊野地区の河川閉塞箇所,市ノ瀬地区の土石流発生箇所,金沢と能登半島を直結する「のと里山海道」終点付近の自動車道路崩落箇所の3ヵ所で,復旧工事を国土交通省からの要請にもとづき行っています。 熊野地区は土砂崩落により河川が閉塞したため,バイパス水路を設置し土砂ダムとなった部分の水位を下げている状態,市ノ瀬地区は土石流が集落へと流れ込まないよう支流への導流堤をつくった段階,の道路面に砕石を敷き均す北陸支店長 木村淳二 執行役員一刻も早く救助活動が行えるようにと里山海道終点付近は1車線を確保した状態の仮復旧段階です。今後,復旧・復興工事は数年単位で継続する見込みです。国土交通省,石川県,各市町村のご指導のもと,日建連各社と石川県建設業協会が連携し,スピード感をもって対応していく考えです。 工事を進めるなかで,当社への感謝の言葉を各所からいただいております。これは,各現場で頑張っている社員への賛辞にほかなりません。能登地方の美しい風景を取り戻すために,一日も早い復旧・復興に向け,引き続き頑張っていきましょう。道路啓開作業にあたるミーティング
06KAJIMA202406令和6年能登半島地震の概要 2024(令和6)年1月1日(月)16時10分,石川県能登地方の深さ約16kmで気象庁マグニチュード(M)7.6の地震が発生した。元日の夕暮れ時に緊急地震速報が突然鳴り響き,驚かれた方も多かったと思われる。地震タイプは地殻内で発生した逆断層型である。この地震により石川県輪島市や志賀町で最大震度7を,能登地方の広い範囲で震度6強や6弱の揺れを観測した【資料1】。現時点で能登地方を中心に240人を超える死者と27,000棟を超える全壊・半壊の住宅被害(国土交通省災害情報,令和6年5月8日)が発生している。土砂災害や道路の損壊による孤立集落化や,長期間にわたる停電や断水などのインフラ系被害も生じた。また,地震発生直後に石川県能登地方に大津波警報が発令され,能登町や珠洲市で4m以上の津波の浸水高が記録された。輪島市朝市通りで内で発生した最大の地震は1891年濃尾地震(M8.0)である。その断層の長さは約80kmのため,今回の地震は濃尾地震を上回る長大な断層が破壊されたと推定される。地震波形の解析から主として南東側に傾斜する逆断層の断層モデル(能登半島の陸地が隆起)が推定されており【資料2】,図中の震央(☆)から北東と南西の両側に断層のすべりが進行したと考えられている。また,図中に赤く着色されたすべりの大きい領域は地殻の浅い部分に集中している。最近では人工衛星から得られるレーダー画像の解析により,地震発生前後の地面の隆起や変動が評価できるようになった。例えば輪島市西部では最大4mほど,珠洲市北部で最大2mほど隆起している【資料3】。この解析結果は能は200棟以上が焼失する大規模火災が発生。翌朝にようやく鎮圧されたものの,観光名所で賑やかだった街並みが一変した。 現地調査を踏まえ,この地震の特徴を3つの観点からまとめた。長大な断層破壊 当該地域では最大震度5を記録した1993年能登半島沖地震(M6.6),最大震度6強を記録した2007年能登半島地震(M6.9)などの被害を伴う地震が発生していた。さらに2020年の年末頃から群発的な地震活動が継続しており,2023年5月5日には最大震度6強の地震(M6.5)が珠洲市直下で発生している。一連の群発的な地震活動,および令和6年能登半島地震の発生には地下の流体が関与していたとの指摘もある。余震分布は能登半島北部の北東−南西に延びる約150kmの範囲に広がっている【資料2】。明治以降に地殻令和6年能登半島地震特徴と状況令和6年能登半島地震について,地理的な特徴や発生のメカニズム,液状化や家屋の倒壊などの被害状況について分析した。(文・写真:小堀鐸二研究所)37.5°37°136.5°137.5°137°138°38°能登半島輪島市の家屋倒壊の様子(4月12日撮影)【資料1】震度分布の拡大図【資料2】断層面のすべり分布。○は本震発生から1日間の余震分布(防災科研ニュース2024No.224から引用)提供:防災科学技術研究所【資料3】準上下方向の地殻変動(国土地理院HPhttps://www.gsi.go.jp/common/000254489.jpgをもとに作成)
07KAJIMA202406特集 令和6年能登半島地震緊急復旧工事︱災害対応と鹿島地震前日本海砂丘砂丘県道8号河北潟干拓地地震後日本海県道8号液状化,側方流動河北潟干拓地登半島北部の多くの漁港で海底面が上昇し,漁港としての機能を果たせなくなった被害事例と整合している。広範な液状化被害の発生 新潟県,富山県,石川県,福井県の4県にわたって広範囲に液状化が発生した。液状化とは地震により強く揺すられると,地盤が液体のようになる現象であり,水を多く含んだ砂地盤や埋立地で発生する場合が多い。今回の地震では,日本海側に多く存在する砂丘背後の陸側の低地(後背低地)にて液状化が発生し,場所によってはそれを要因として地盤が水平方向に大きく変位する大規模な側方流動の発生が確認された。例えば,震源から約100km離れた金沢市に隣接する内灘町の最大震度は5弱であったが,砂丘の端部と河北潟の干拓地の境界地域で,液状化と側方流動【資料4】の影響と推測される地盤変状が広範囲に発生していることを現地調査で確認した。地盤変状に伴う建物の傾斜などの被害も多く見られた。河北潟周りの干拓地では,近接地点であっても液状化による被害の有無が分かれており,その要因について地形や土地の成り立ちの観点から明らかにすることが重要である。繰り返される住宅の全壊・半壊被害 全壊・半壊家屋の多くは断層面直上の能登半島北部の市町に集中している。1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以降,強い揺れを観測するために強震観測網が全国規模で整備され,能登半島にも複数の強震観測点が配置されている。住宅被害が集中した輪島市と珠洲市で観測された速度波形を見ると,揺れの強い部分が20秒程度続いている【資料5】。建物の揺れの大きさを測る尺度として擬似速度応答スペクトル(横軸は構造物の周期,縦軸は地震波による構造物の応答値の速度表示)がある。輪島市と珠洲市のスペクトルは,特に木造構造物に大きな被害をもたらす周期1∼1.5秒の地震動が卓越している【資料6】。過去に震度7が観測された1995年兵庫県南部地震や,2016年熊本地震の速度波形やスペクトルも図中に示した。令和6年能登半島地震の揺れは,甚大な住宅被害をもたらした過去の大地震と同等に強かったことがわかる。能登地方は「能登瓦」と呼ばれる耐寒性の高い黒瓦の住宅が多く,美しい景観を生み出している。一方,瓦屋根は重量が重いことから,耐震的には不利となる可能性がある。地域固有の構造物の特徴を考慮した耐震性向上への取組みなど,繰り返される甚大な住宅被害の低減は今後の課題である。おわりに 令和6年能登半島地震では,能登半島を中心とした全半壊の住宅被害,土砂災害や道路の損壊による孤立集落化,長期間にわたるインフラ系被害,液状化や側方流動などの地盤変状,地面の隆起や変動,地震発生直後の津波の襲来など,あらゆる種類の地震被害が発生した。能登半島地域が地震被害から一日も早く復興することを願うとともに,今回の地震の詳細な調査や被害要因の分析で得られた知見を,切迫性が指摘されている南海トラフの巨大地震や首都直下地震の地震防災と減災対策に結びつけていきたい。石川県河北郡内灘町の西荒屋小学校付近の地盤変状(1月13日撮影)【資料4】西荒屋付近の液状化や側方流動の発生メカニズム【資料5】地震観測記録の比較(速度波形)【資料6】地震観測記録の比較(擬似速度応答スペクトル減衰定数5%)木造構造物に被害をもたらす周期帯(1∼1.5秒)揺れの強い部分擬似速度応答スペクトル(cm/秒)2024年能登半島地震K-NET輪島(輪島市)2024年能登半島地震K-NET正院(珠洲市)2016年熊本地震KiK-net益城(益城町)1995年兵庫県南部地震葺合(神戸市)周期(秒)
08KAJIMA202406出来事1/116:10能登地方でM7.6,志賀町と輪島市で震度7(最大),七尾市,珠洲市,穴水町で震度6強16:21輪島港で1.2m以上の津波を観測18:10輪島市で大規模火災発生石川県内で3万戸以上が停電1/210:00気象庁が津波注意報を全て解除17:13能登半島沖で震度5強1/302:21能登地方で震度5強12:30厚生労働省が11万戸以上の断水を発表1/4能登地方への一般車両の移動控えの呼びかけ1/5自衛隊は支援活動で5,000人態勢へ1/605:26能登地方(穴水町)で震度5強23:20能登半島沖(志賀町)で震度6弱1/9石川県内で確認された死者が200人を超える1/1210:00輪島市,珠洲市で応急仮設住宅の建設工事が着工1/1309:10防衛省の大型フェリーが七尾港入港1/1505:30JR七尾線の高松∼羽咋間で普通列車の運転を再開1/1714:00物資輸送の米軍ヘリが能登空港に到着1/1907:06志賀町で震度410:15首相が能登半島地震を「非常災害」指定1/2205:00JR七尾線の羽咋∼七尾間で普通列車の運転を再開1/28志賀町・七尾市・穴水町・能登町の計700戸で断水が解消1/3115:00輪島市に県内初の応急仮設住宅18戸が完成,18世帯58人が入居1/1地震発生直後,北陸支店(新潟市)に震災対策本部を設置。北陸支店社員の安否,建設現場,被災地,得意先の被災状況の調査を開始18:50北陸支店社員全員の無事と,当社施工中の工事に大きな被害が出ていないことを確認1/208:00震災対策本部会議を開催。北陸支店と本社で被災情報を整理し,対応体制を計画09:00本社に震災対策本部を設置。全社的な支援体制を整備10:30国土交通省と日本建設業連合会(日建連)から支援要請。社員を現地に派遣するとともに,資機材搬入を開始13:00-13:30金沢営業所・富山営業所から七尾に向け道路啓開班出発16:00七尾市・道の駅なかじまロマン峠を起点に七尾側・穴水側の被災状況調査を開始1/302:46道路啓開班,七尾駅付近で最初の擦り付け箇所を確認。大型車の通行に向けて作業準備09:00北陸産業班,道路啓開の応援に向けて埼玉を出発10:45ロマン峠から穴水間の道路啓開作業開始15:00珠洲道路啓開作業着手17:55北陸産業班,金沢到着20:293班体制で珠洲道路復旧に総力を挙げる23:24先発調査メンバーが珠洲市役所に到達,翌朝6時過ぎに啓開作業終了1/408:30珠洲市役所から能登空港まで走行試験完了,珠洲市までの大型車の通行が可能に16:13北陸産業班,他支店応援班,能登空港到着17:20珠洲道路,県道1号線の緊急復旧工事完了23:00珠洲市内一般道の緊急復旧作業実施1/5河原田川(熊野地区):現地踏査(当社土木設計本部・土木管理本部・技術研究所)04:00珠洲市内一般道の緊急復旧作業完了16:00北陸地整(新潟)にて石川県庁参加で河原田川(熊野地区)応急対応作業方針打合せ(Web会議)17:00国道249号段差解消作業,珠洲市内完了1/6河原田川(市ノ瀬地区):現地踏査02:15国道249号段差解消作業,広栗橋交差点まで完了17:46国道249号段差解消作業完了(初期道路啓開完了)1/715:00河原田川(市ノ瀬地区)応急対応作業方針打合せ(石川県庁,整備局参加Web会議)地震発生からの鹿島の初動対応1/8河原田川(市ノ瀬地区):大型土のうによる土石流防護工事を開始1/9のと里山海道(越の原IC∼穴水IC間):現地踏査(-1/11)1/10社員から被災地への義援金募集を開始1/11河原田川(熊野地区):閉塞箇所の復旧工事を開始1/13のと里山海道:越の原IC側から能登大橋に向かって復旧工事を開始1/17のと里山海道:穴水IC側からも作業を開始1/20のと里山海道:能登大橋より輪島側の1車線分の啓開作業が終了1/23のと里山海道:能登大橋手前に取り残されていた車両を救出国土交通省への権限代行が発表される(以上,当社社員のMicrosoftTeamsグループチャットや議事録をもとに作成)鹿島の初動対応グループ会社の主な対応状況カジマ・リノベイト ガスターミナル設備における桟橋の調査点検を実施(1/26)カジマメカトロエンジニアリング リサイクルセンター設備の部品交換手配着手(1/4)。ガスターミナルのギャングウェイ設備の点検調査を実施(1/25)鹿島建物総合管理 管理物件約320件について,Nadiss(自然災害情報共有システム)による情報収集,現地調査,復旧対応を行うアバンアソシエイツ 最終処分場を所管する自治体・民間業者に情報提供や支援を行うNPO・LSA※の「能登半島地震タスクフォース」に参画・活動鹿島道路 国道249号外舗装復旧に係る対応,民間業者含めた道路復旧に携わる※特定非営利活動法人最終処分場技術システム研究協会
震災対策本部の立ち上げ 元日の夕刻に起きた大きな揺れ。その時北陸支店(新潟市)には,当直として武井昭土木部長が詰めていた。「地震が1月1日に起こるなんてと驚きましたが,すぐに社員と社員家族の安否確認に入り,18時50分には全員の無事と,施工中の案件に異常がないことを確認しました」。同時に報道を通して被害の一報が入り始める。高速道路会社などから土留め対応の要請が入ることを予想し,人材・資材の確保について協力会社をあたり始めた。 「まず念頭に置いたのが運搬ルートの確保です。新潟県から石川県に入ろうとしても道路寸断の可能性がある。必然的に西側,東海・名古屋方面からのアクセスを想定し,主要道路の最新情報を得ながら,声掛けの順番を決めていきました」。 瞬時の判断は,平時のBCP訓練に加え,毎年のように北陸地方を襲う雪害や,2019年の台風19号による千曲川の氾濫,2022年の集中豪雨による北陸自動車道「敦賀トンネル」の閉塞などの緊急工事に対応してきた経験が活きた。 一方,神奈川県で休暇中だった木村支店長は,発災直後に武井土木部長と連絡を取り,震災対策本部を立ち上げた。「翌日には北陸地方整備局から災害協定に基づく支援要請が日建連北陸支部を通して入ることを予想し,自家用車で北陸支店を目指しました。高速道路は途中(小出IC)までしか通じていませんでしたが,午前2時には新潟に到着しました」。夜間は被災状況の把握が難しいため,状況がある程度判明する2日の朝8時に震災対策本部会議を09KAJIMA202406特集 令和6年能登半島地震緊急復旧工事︱災害対応と鹿島エリアでは通信がほとんど機能しなかった点です。車で往復しながら電波が通じるところまで戻って,皆に連絡事項を伝えるというのを繰り返しました。珠洲道路啓開着手にあたっては,能登空港から珠洲市役所までの約30kmを,あと半日で何とかしなければならない状況でした。30kmの区間を3班で割り振り,目標の4日朝6時過ぎに珠洲市役所まで到達しました」。 この切迫した状況は,人命救助のタイムリミットとされる72時間での道路啓開が見据えられていたためだ。 富山営業所から2日夕方に現地に入った吉村輝樹グループ長は振り返る。「道路啓開は,緊急通行車両などが1車線でも通行できるよう,早急に最低限の瓦れきを処理し,簡易な段差修正により救援ルートを開けることです。この限られた時間と資機材で広域を啓開するためには,啓開範囲全体の損傷状況を把握することが重要でした」。 金沢営業所から阿部副所長と2日夕方に現地に入ったのが水上裕治工事課長だ。「現場への指示は刻一刻と変化し,実際開催することに決めた。 2日午前10時30分,日建連を通して支援要請が入る。当社は「道路啓開」と呼ばれる,道路陥没・寸断箇所に砕石を敷き均して緊急車両が通れるようにする工事を,七尾から輪島・珠洲ルートにかけて清水建設と対応することが決定した。72時間での道路啓開工事 道路啓開班は,のちの河原田川や「のと里山海道」復旧工事のメンバーを含む,金沢市や富山県に住む社員を中心に編成された。「出動に自ら手を挙げてくれた社員もいます。また,被災地エリアにおける工事経験者は,土地鑑があり,地域の方々との付き合いも深い。地元の道や人をよく知る彼らの経験を頼りにしました」(武井土木部長)。 そのひとり,道路啓開工事を率いた阿部高副所長は振り返る。「私は能登町にある北河内ダムの建設に5年携わり,穴水から珠洲の間の道路事情はよく知っています。私がまず先行して各所を車で回りながら,どこがどの程度被災して,どのくらいの砕石や材料が必要なのかを見て回り,その情報をグループチャットで皆に共有しながら対応していきました。厳しかったのは,被災した道路状況や混雑により,通常の何倍もの移動時間がかかったこと,また能登空港から先の阿部高副所長吉村輝樹グループ長阿部副所長が撮影した道路面の様子武井昭土木部長緊急復旧工事の全容(1月1日~9日)M7.6の地震発生は,道路寸断,陥没,橋の崩落などインフラにも甚大な損傷を与えた。当社は発災翌日に現地に入り,1月2日から6日にかけて主に七尾から珠洲に抜ける道路啓開にあたった。北陸支店の振返りをもとに,当社の初期対応の動きを追う。
10KAJIMA202406に啓開作業実施の連絡を受けたのが2日夜,『ここが力の見せどころだ』と身の引き締まる思いでした。日付が変わる頃に七尾で協力会社と合流し,目標の3日朝までに目的地に到達できました」。 一刻を争う場面,当初工事用車両が道を通してもらえないという事態にも直面した。「警察,消防,自衛隊,皆が各々の立場で先へと進まなければなりませんでした。その道を一刻も早く開けるのが我々の仕事です。その場その場で理解してもらえるように対応していきました」。地元人脈と全社的な後方支援 国土交通省との間に立ち,各現場への指示を統括し,後方支援の協力を全社に共有していたのが神戸隆幸土木工事管理部長だ。当時活用されたグループチャットには,各方面から寄せられる資機材手配の記録が残されている。「支援要請においては,被災地に負担をかけないように,県外からの調達が基本です。足りない砕石をどのように調達し,資機材を置く場所はどうするのか。現場チームの地元の人脈を活かしながら,全社的な後方支援を活用しました」。 燃料の供給も課題となるが,富山市の「平等処分場建設工事」の発注者,富山環境整備の協力が急場を救った。平等処分場の工事が8割程度休止することを了解のうえで,当現場から社員,重機,オペレーターが復旧作業に従事することを承諾した。さらに手配の難しかった重機などへの燃料を毎日供給し続けた。「富山環境整備さんの協力がなければ,3日間での道路啓開は難しかったと思います」と武井土木部長も感謝の思いを口にする。 道路啓開班は4日以降も珠洲市内の道路啓開作業にあたり,6日の夕方に作業は終了。緊急復旧工事は,すでに要請が来ていた河原田川と,のと里山海道の対応へとシフトしていく。「初動の道路啓開が6日に終わり,ほぼ不眠不休で業務にあたってきた皆さんに,休息が必要だと7日は全休にしました。8日からの河原田川の工事に向けて,全員が必ず勤務間インターバルを10時間取れるよう,4班に分けたシフトを編成し態勢を整えました」(神戸土木工事管理部長)。建築部門の対応 一方,北陸圏内に施工案件を多くもつ建築部門では,発災直後から電話などで客先への被災状況の確認を行った。その件数は100件以上にのぼり,そこから調査と復旧方針の策定などが2月頃まで続いた。 建築部門を統括する赤塚裕介支店次長は,「今回の地震の被害規模は,2007年に起きた地震とは比べものにならない大きさ」と話す。「道路寸断により,被災した案件の確認に行きたくても行けないというもどかしい状況が続きました。能登を中心とするエリアは当社施工による工場施設も多く,インフラの損傷で水の供給・排水ができず,水が流せないために配管のどこが壊れているかの調査すら難しい状況でした。比較的電気は早めに復旧しましたが,水はいまだに届いていないエリアがあります(4月9日現在)」。 建物が被災するなか,いち早く店舗営業を行ったのが,当社施工による石川県内の大型ショッピングセンターだ。同店は店内設備や天井の落下物などで大きな被害を受け,施工時に所長を務めた社員らが,2日朝より福井県から現地に入った。飲食の販売だけでも動かしたいという顧客の要望により,急きょ安全対策の応急処置を施した。「建物は消防署が許可しない限り使うことができませんが,特別な許可が下りました。同店は2日の夕方には動き出し,いち早く被災地エリアでの食料,日用品の供給が開始されました」。 現在,建築部門では,大方の案件の復旧方針の目途がたち,工事開始の調整にあたっている。「5月の連休明け頃から本格的な工事が動く予定です。本社からの人材支援には,以前北陸支店にいた方のほか,自ら手を挙げてくださる方もいて,大変心強いです」(赤塚支店次長)。過去の教訓を活かした対策を その後土木部門では,1月8日から河原田川,9日からのと里山海道の工事に着手し,現在のと里山海道は一車線が開通,河原田川周辺では一部戻って来ている住民もいる。武井土木部長は展望を語る。「今はまだ緊急復旧工事が一区切りついてきた段階です。これから,本復旧,復水上裕治工事課長神戸隆幸土木工事管理部長赤塚裕介支店次長段差が生じた道路面に砕石を擦り付ける穴水ICからすぐの「道の駅なかじまロマン峠」。道路啓開工事の最初の拠点基地となった
11KAJIMA202406特集 令和6年能登半島地震緊急復旧工事︱災害対応と鹿島地元をつなぐ 後方支援の活躍者として口々に名前が挙げられたのが,東京土木支店の若木孝一グループ長である。ベースとなった穴水から車で15分ほどの位置にある実家が被災したが,直後から自ら手を挙げて支援業務にあたっている。神戸土木工事管理部長は「現場で直面する数々の問題を,土地鑑と地元のネットワークをつたって解決してくれた」と語る。 社員・技能者の宿舎や詰所用地の選定,トイレの汲み取り,燃料の安定供給などが,地元の友人,知人の情報や協力でスムーズに進められたという。人脈と人柄がうかがえるエピソードが並んだ。 若木グループ長は「最前線で自分の地元の緊急復旧に取り組む社員がいる。土地のことを知っている私が,なんとか彼らの力になりたいとの想いで取り組んでいます」と話す。まだ寒い時期,現場チームに鍋を振る舞ったことも。「インスタント食品が続くとどうしても覇気がなくなる。温かいもので力をつけてほしかった。派遣にあたりご配慮いただいた方々や,東京土木支店のメンバーの協力にも非常に感謝しています」と語った。生活・就労環境の整備 金沢営業所では,発災直後から北陸支店と連携し,現場チームの環境整備などの後方支援に尽力した。富山県や福井県のグループ内,また支店がある新潟県からも事務方の社員支援を得て,車の確保や宿舎,生活物資の手配に奔走した。 「羽咋市から北方面で水が止まり,志賀町は完全に断水。周囲の社員に生活用水を供給していました」と平本秀明管理部現業グループ長は振り返る。 工事の基地拠点は何度か移り変わった。道の駅,空港,ショッピングセンターの駐車場。「消防,警察,行政,被災者の方も集まってくる場所。地域との調整を意識しました」。 発災直後,現場チームは自分の車やレンタカーで車中泊し,現場に向かっていた。しかし現場往復に半日を要してしまう状況。宿泊施設の確保は必須だった。清水勇志管理部現業グループ次長は「現場は徹夜で寒いなか,懸命に作業しています。現場に近い北方面の宿を確保するのが理想ですが,断水しているエリアが多く,断水解除の情報を得ると多数の旅館に直談判して回り,羽咋周辺に宿泊施設をおさえました」と振り返る。 河原田川(市ノ瀬・熊野地区)・のと里山海道の3現場には,金沢営業所から毎日巡回する“定期便”を導入し,物資を届けた。 「現場からの要望を毎日14時まで受け付け,翌日の便で発送しました。巡回車は毎朝7~8時頃出て,帰着は20~21時頃。通常2時間弱の距離に当初は6時間ほどかかりました。物資は工事用資材のみならず,食料,生活用品など多岐にわたりましたが,チャットの活用などで現場と緊密に連携し,タイムリーかつ効果的な輸送に努めました。大型土のう作成用の黒いカバーをかき集め,3,000~4,000枚の規模で現場に送り込んだこともあります。雪の時期は積み荷も大変でしたが,かなり重宝されました」。 現場・事務方チームの健康管理やメンタルケアにも気を配る。「勢いに任せた体制では必ず息切れします。産業医のアドバイスのもと勤務管理表を作成し,休めていない人が出ないように業務の平準化を図っています。本社・他支店から応援に来てくれる社員も,健康面に留意した管理を行い,尽力してもらっています」(平本グループ長)。column若木孝一東京土木支店グループ長金沢営業所から現場への定期便平本秀明グループ長(左),清水勇志グループ次長(右)興に向けたフェーズに入っていきますが,この地方は2007年にも大地震を経験しています。我々ゼネコンの土木技術者としては,過去の教訓を謙虚に反省しながら,丁寧な施工管理,“100年をつくる”ものづくりに反映させたいと,改めて痛感しています」。 並行して重要なのが,情報の伝達を支える通信インフラの存在だ。「今回の緊急復旧工事を通して実感したのは,通信網の強化の必要性です。今回のような緊急時には必須です。人口密度にかかわらず,人が少なくても道路が通るエリアや山中など,公共インフラとして通信網を供与可能にする状態を,各方面が連携して築いていくべきだと感じています」。 次ページ以降では,河原田川とのと里山海道における現場取材を詳報する。金沢営業所による後方支援の尽力地域に寄り添うキーパーソン珠洲道路啓開の様子1月5日の施工完了時
珠洲震源能登穴水穴水IC越の原IC越の原IC∼穴水IC横田ICのと里山空港ICのと里山空港河原田川(熊野地区)のと里山海道のと三井IC志賀輪島七尾湾249159415249249249249かほく金沢白山七尾中能登羽咋石川県富山県宝達志水宝達志水町氷見高岡富山津幡町金沢市河原田川(市ノ瀬地区)初期道路啓開別所岳SA徳田大津IC12KAJIMA202406現地踏査と道路啓開 地震発生直後の一般道の道路啓開を経て,1月4日に穴水から珠洲までの緊急車両の通行が可能となった。その後,当社は高規格道路のと里山海道の越の原IC∼穴水IC間の北行き1車線の道路啓開を担当。1月9日から11日にかけて当社北陸支店,土木設計本部,技術研究所の社員が担当工区の現地踏査を行い,被災状況・規模や現場までの移動経路を確認した。至るところに地割れや段差が見られ,大きく崩落している箇所もあった。並行して土木設計本部では2007年の能登半島地震のめ,損傷の大きな箇所を中心に補修しました」と言う。20日には能登大橋より輪島側の1車線分の啓開作業が完了した。何度か10cm程度の積雪もあり,雪に慣れていない技能者は通勤も含めて大変苦労した。 当社の命題は「いち早く北行き1車線を通すこと」であったが,再崩落の誘発を防ぐため,崩落土をただちに撤去せず,地質会社に協力してもらい崩落の原因を解析したうえで工事を始めた。大崩落を発泡ウレタンで復旧 問題は,特に被害が大きかった能登大橋金沢側の橋台背面である。盛土法面の変状・崩落が発生したことに加えて,道路面の地割れや1m以上の沈下が発生した。盛土で造成された道路が崩落したことと,能登大橋に接続しなければならないため,迂回路で対応することができなかった。そこで,地割れの深さを確認するため,白復旧工事の資料を収集し,前回と今回の被災箇所を照合する作業も行った。 1月13日より復旧工事が始まった。まずは一般道からアクセス可能な越の原ICに0.45m3バックホウ2台とブレーカー,10tダンプ2台を入れて作業を開始。地割れした舗装の撤去,小さなひび割れの砕石埋め,法面整形,砕石敷均しを行った。工事を牽引した佐藤隆宏工務監督は「作業開始当初は,資材の調達に時間がかかったた能登大橋橋台背面の崩落能登大橋橋台背面の崩落土を掘削佐藤隆宏工務監督のと里山海道(越の原IC~穴水IC間)道路啓開対応場所:石川県鳳珠郡穴水町発注者:石川県(1車線啓開),国土交通省北陸地方整備局(2車線啓開)工期:未定被災現場を訪れる一般道の緊急復旧工事対応後,当社は金沢と能登半島を結ぶ「のと里山海道」の越の原IC∼穴水IC間の道路啓開対応,河原田川(市ノ瀬,熊野地区)の河道閉塞対応の施工を担当した。3月15日にはのと里山海道の輪島市方面に向かう北行き1車線の全線が開通。緊急復旧を終えて次の段階へと前進している。地震発生から約3ヵ月が経った3月29日,のと里山海道と河原田川の現場を訪れた。
今回の復旧工事ではさまざまなICTツールが効果的に活用された。電波のつながりにくい地域では衛星インターネットサービス「スターリンク」を導入し,各地の被災状況を「Teams」でつぶさに共有しあった。オフィスカーは現場に作業環境を提供した。また,土砂崩れなどで崩壊した地形はドローンによる三次元測量で土砂量を計測し,復旧工事の計画に活かした。13KAJIMA202406特集 令和6年能登半島地震緊急復旧工事︱災害対応と鹿島い水性ペンキを流し込んで慎重に試掘を行い影響範囲を確認した。その結果,最大で約4mの深さまで地割れした盛土を撤去することとなった。再度構築する盛土の重量による更なる不安定化を防ぐため,軽量盛土材を検討するなかで「現場発泡ウレタン」が採用された。発泡ウレタンは2種類の液体を現場で混合して発泡させるため,約30分の1の容積の原料をドラム缶に入れて運搬することができる。施工プラント車(4t車)とドラム缶置き場の小スペースで施工可能なことから,施工ヤードに制約がある当現場に適した工法だった。鈴木健介設計長は「軽量盛土工法として他現場での適用を検討していた工法でした」と語る。発泡ウレ者も多く関わった。砕石も富山や福井など県外から調達し,工事終了までに約580台(約2,600m3)の砕石を搬入した。1車線の全線開通 3月15日,のと里山海道の輪島市方面に向かう北行き1車線の全線が開通した。取材当日,能登大橋を訪れると一般車両が頻繁に通行していた。7月末には能登大橋付近を除く南行き車線も開通し,上下線ともに通行可能になる予定である。最後に佐藤工務監督は「災害時には被災地までアクセスできなければ救助や支援を行うことができないため,建設業がその根幹を支えていると再認識しました」と振り返った。タンは発泡中の雨水混入による品質不良を防止するため養生用の屋根を組み立て,2月後半の5日間で約770m3を吹き付けた。最後に発泡ウレタンを紫外線から保護するためコンクリートキャンバスで被覆。砕石による路盤の造成などを行い,3月6日に作業が完了した。車両が時速40キロで走行できる下り勾配7%の道路が整備された。 現場には常に2人以上の当社社員が立ち合い,繁忙期には5人が施工管理にあたった。また全体の技能者は多い日で20人以上となり,大阪や名古屋など県外からの技能ICTツールの活用column1月18日,能登大橋∼穴水IC1月22日,水性ペンキで地割れの深さを確認崩落箇所に発泡ウレタンで軽量盛土を造成発泡ウレタンをコンクリートキャンバスで保護3月15日,輪島市方面に向かう全線開通(3月29日撮影)Teamsを用いてリアルタイムで情報を共有電波がつながらない地域ではスターリンクを使用作業環境の整ったオフィスカーを現場で使用鈴木健介設計長
14KAJIMA202406 河原田川では,市ノ瀬地区で土石流,熊野地区で土砂による河道閉塞が発生。急を要する状況のなかで,平時の現場力や判断力,災害復旧の経験と土地鑑のある社員が,迅速に復旧工事にあたった。土石流を防ぐ緊急対応 市ノ瀬地区では地震発生直後に土石流が起こり,約160万m3もの土が流出した。過去に輪島市鷹ノ巣山の現場を経験している安齋勝所長は1月5日に熊野地区,6日に市ノ瀬地区の現地踏査を行い,8日より市ノ瀬地区で大型土のうによる土石流の防護工事に着手した。県外から山砂や砕石を取り寄せ,土のう作成機を用いて,1月末までに約4,700個もの大型土のうを確保した。その間,宿泊場所のある金沢から現場までの移動に約7時間を要したため,技能者は4つの班に分かれて1日おきに昼夜の作業に臨んだ。昼夜施工を指揮するため,当初は車中泊で対応した。 土石流が直撃したエリアでは,ネットロール工法によりネットを巻いた大型土のうを設置し,下流のエリアでも二次災害として近隣の民家に土石流が流れるのを防ぐため,大型土のうを二段で積んだ。作業途中に余震や山の崩落・河川の増水もあり,「技能者の安全を確保しながらも,とにかく工事を進めなければいけないという葛藤があった」(安齋所長)と言うが,警察・消防による安否不明者の捜索が入ってからは消防研究センターと協力し安全基準の設定や警報装置も設置され,作業環境の安全性がより高まった。警察・消防による不明者捜索活動に協力しながら,3月末までに大型土のうの設置を完了している。出水期(6∼9月)には上流からの水量が増加することから,土石流が再度不安定化しないように,隣接する用地に幅2.5m×延長約580mの仮排水路工事を緊急的に実施している。住民の要望を聞く 一部の住民は戻っており,安齋所長は「頻繁に民家を回っています。住民の方々と対話しながら,より良い復旧工事を進めていきたいです」と現況を語る。現在は緊急復旧の段階であり,例えば民家への応急的な二次災害防止対策は完了したが,「田んぼが枯れるのを防ぐために水路を引き直してほしい」というような細かい要望に対処していくのはまだ難しい。一日も早い復旧が待たれる。1月6日,現地踏査3月29日,大型土のうを積む作業はほとんど完了していた 1月24日,大型土のうにネットを巻く 安齋勝所長湛水土石流上流側土砂ダム対策排水路大型土のう積+ネット巻大型土のう積捜索活動終了後仮排水路施工捜索活動終了後施工【市ノ瀬地区(もみじ川)復旧】−−−:大型土のう積(完了)−−−:大型土のう積+ネット巻(完了)−−−:仮排水路(完了)−−−:排水路(施工中)1月8日,大型土のう積み河原田川市ノ瀬地区の土のう設置場所河原田川市ノ瀬地区土のうで土石流の二次災害を防ぐ場所:石川県輪島市市ノ瀬町地内発注者:石川県(∼1/22),国土交通省北陸地方整備局(1/23∼)工期:石川県 2024年1月5日∼2024年5月17日,国土交通省 2024年1月23日∼2025年3月31日
15KAJIMA202406特集 令和6年能登半島地震緊急復旧工事︱災害対応と鹿島富山の現場から復旧工事へ 熊野地区でも地震発生直後に土砂崩落が起こった。富山の平等処分場建設工事を担当していた間中弘之所長は,発注者の富山環境整備の協力を得て,技能者と重機を引き連れて熊野地区に向かった。 1月11日より熊野地区の復旧工事が始まった。今回の土砂崩落に伴う倒木と土砂によって河道が閉塞。上流の水位が上昇して家屋が水没し,そこから越流した水が下流の家屋を押し潰した。最初の任務は家屋の水没をいち早く解消すること。ただちにバックホウで川に入って倒木や土砂を撤去しつつ,迂回水路を掘削して水没を解消した。過去に新潟県中越地震や東日本大震災の災害復旧に関わった経験もある間中所長は,「災害復旧では即断即決する必要があるため,土木技能者としての知識と経験が試される。とはいえ事故を起こさないよう安全第一で臨みました」と語る。平等処分場の現場から数年工事を共にしてきた20人以上の技能者が駆けつけ,チーム一丸となって工事を進めることができた。発注者である富山環境整備からの資機材の協力も復旧を後押しした。その場で臨機応変に工事を進める 発災直後に応急的に取り付けた迂回水路に対して,本年の出水期に向けて,市ノ瀬地区と同様に,河川の水量を安定的に流せる仮排水路を整備している。「事前に計画しつつも,その日の天気・河川水位によって作業内容を変更するなど,現場の判断で臨機応変に工事を進めています」(間中所長)。バックホウで川を渡る工事は水量に左右されるため,水位計や天気予報を見ながら工事の可否を決めている。 緊急復旧工事の中で,本年の出水期入りまでに,水路幅を確保して仮護岸を設置しなければならない。 今回の工事の背景には住民の協力がある。「この地域の半数以上の土地を所有する地権者の方から被災前の現地図面をご提供いただけるなど,住民の方々が信頼し,協力してくださるおかげでスムーズに工事を進めることができています」(間中所長)。 緊急復旧の段階が終了し,復旧工事も4月から日中だけの通常の体制に戻った。しかし,従来の状態に戻すという意味での本復旧までには時間を要する。地元への負担が少ない復旧をめざして,現在も工事が進行中である。1月5日,現地踏査1月26日,閉塞した河道に水を流すために木を伐採する3月29日,バックホウによって岩石を積んだ護岸間中弘之所長崩落箇所・崩落土整形・法面吹付崩落箇所・崩落土整形・法面吹付伐採・搬入路設置倒木・土砂撤去による河道確保崩落箇所掘削による河道確保【熊野地区(河原田川)復旧】−−−:倒木・河床土砂撤去(完了)−−−:伐採・進入路造成(完了)−−−:水路工:非出水期断面(完了)−−−:水路工(護岸工含む):出水期断面(施工中)−−−:崩落土整形・法面吹付(今後施工)1月22日,橋が浸かるほど水位が上がってしまった河原田川熊野地区のマップ河原田川熊野地区水を流して家屋の水没を解消場所:石川県輪島市熊野町地内発注者:石川県(∼1/22),国土交通省北陸地方整備局(1/23∼)工期:石川県 未定,国土交通省 2024年1月23日∼2025年3月31日